BOOTH, Charles (1840-1914)


生涯

Charles Boothは1840年3月30日、リヴァプールの裕福な企業家の息子として生まれた。父親はユニテリアンであり、Lamport and Holt Steamship Companyの経営者である。Boothは22歳のときに父親をなくし、この会社を引き継いだ。指導者としてすぐれ、ビジネスマンとしての才覚に長けていた彼は、その海運会社をグローバルな規模に発展させた。1860年代に彼はコント哲学に関心をもつようになる。Boothが惹きつけられたのは、将来において科学的な産業資本化が教会人に代って社会的リーダーシップを掌握するとみたコントの思想である。コントの思想を摂取したためか、Boothはその後、宗教的な信仰心を稀薄化させていった。

ロンドン調査

1884年、Boothは統計協会のフェローとなり、ちょうどこのころロンドン市長の要請で協会は市政調査会(救貧基金の支出に関する調査会)を支援することになった。1883年に出版された国勢調査報告(1881年)を読むなど、ロンドンの、とくにイーストエンドの労働階級問題に関心をもっていた彼は、この調査に協力することになる。Boothは、国勢調査データを基本としながらも、独自の質問票を作成するなど、新たなデータの収集につとめた。作業の過程で、利用可能なデータがいかに少ないかを痛感した彼は、次第に独自に大規模かつ詳細な調査を行なうことを構想しはじめた。1886年3月以後、彼はこの調査の準備をはじめ、その年の秋には調査が開始されている(社会民主連合のHydmanによる調査結果への不満が、Boothを独自の調査に導いたとする通説にはほとんど信憑性がない)。

1889年、この調査の成果、Labour and Life of the People in Londonの最初のシリーズ (「貧困」)が出版された。当時、ロンドン住民の25%が極度の貧困状態にあるといった指摘があったが、彼の調査はそれを上まわる30%強が「貧困線」以下の状態で生活していることを示した。当初は、イーストエンドに限定した調査だったが、彼はその後、調査対象をロンドン全体に広げていく。Boothは調査を行なう一方で、ビジネスにも携わっていた。週日はほとんどをビジネスのために使い、年に少なくともひと月は外国に滞在するといったパターンが続いた。調査そのものはBoothのプランに沿って行なわれたが、調査を創造的に拡充し、かつ遂行していったのは、組織された研究員のチームであったことに注意しなければならない。研究資金、研究施設はBoothが準備したが、研究員たちは決してたんなるBoothの手足ではなかった。

1903年にいたるまでの20年以上もの年月をかけた調査の結果は17巻にも及ぶ。都市貧困問題を取り扱うさいの当時の情緒主義的でジャーナリスティックな傾向の回避につとめたBoothのこの研究は、世紀末ロンドンの一種の「フォトグラフ」である。既存のデータ、聞き取り調査によって得られた新たなデータは計量的に分析され、そこに行政官や研究員の個人的な観察をもとにした記述をおりまぜることで、Boothはこの「フォトグラフ」をできるかぎり鮮明なロンドン像にしようとした。したがって、この調査結果には、貧困、失業、道徳的退化に関する報告はあるものの、これらの問題を解決するための処方箋はほとんどみられない。

社会改良

しかし、そうしたBoothの研究成果の特質から、彼が禁欲的な客観主義者であったと判断することはミスリーディングである。一般に彼は貧困層の生活にたいしては、国家が責任をもつべきだと考えていた。失業、貧困、道徳的退化の多くは、劣悪な環境のなかに居住する住民の個人的な力では克服できない要因によって引き起こされる。貧困は決して個人の失敗ではない。Booth自身は強い社会改革指向をもっていた。ただ、それが必ずしもストレートにはロンドン調査報告に現われていないだけである。それは、この調査と密接な関係をもつものの、調査本体とは切り離された「老齢年金制度」の提案にみることができる。

評価

Boothに関しては様々な評価と解釈がある。情緒主義を排し、構造化された調査方法を導入したBoothは、科学的社会調査、経験的社会学の嚆矢とされることがある。その上で、なおBoothのなかに残存する「非科学的な要素」が指摘され、これは一般にBoothの「イデオロギー的なバイアス」として処理されてきた。出自とバックグラウンドそのものが示しているように、Boothは中産階級の強いバイアスをもち、資本主義システム、産業システムを執拗に支持し、これらのシステムにとって逆機能的な要素(Class B、casual labourer)の文字通りの根絶さえ構想した保守主義的な側面をさえもつとされる。「事実をして語らしめる」という原則が、自らのイデオロギーと階級的バイアスによって、いかに沈黙させられているかがBooth理解の一つの軸になっている面さえあるといった解釈である。

経験的方法と個人的観察(「意見」)の折衷という方法論の問題は、Boothの社会調査を理解する重要な鍵である。上にみた諸解釈は、この両者(科学と道徳と言い換えることもできる)を根本的に整合しえないものとみる前提にたっている。しかし、Booth自身は、両者の折衷こそが世紀末ロンドンの立体的記述にとって重要な意味をもっていた。その第三シリーズ(宗教的影響)も、そうした視角から理解される必要がある。Boothの社会調査や老齢年金制度の提案が、ヴィクトリア期の社会改良思想に典型的なある種の価値観・美徳観に貫かれているとするHimmelfarbの研究(1991)やBoothアーカイブの丹念な調査によって、「印刷された調査報告」と「印刷されなかったノート群」との対照から、その社会調査の基本的視座を明らかにしようとするO'Day and Englander(1993)の研究、また、ヴィクトリア的価値観をcivic virtueの伝統の中で理解しようとするHarris(1995)の報告などは、科学と道徳、経験的方法とイデオロギーの間で引き裂かれた通説的 Booth像を刷新する新しい研究である。

class numbe r ratio
A(lowest) 37,610 0.9% In poverty (30.7%)
B(very poor) 316,834 7.5%
C and D(poor) 938,293 22.3%
E and F(working class, comfortable) 2,166,503 51.5% In comfort (69.3%)
G and H(middle class and above) 749,930 17.8%
Inmates of Institutions 99,830

<Principal Works of Charles Booth>

  • Ocupations of the People of the United Kingdom 1801-81, Journal of the Royal Statistical Society[JSS]: xlix (1886)
  • England and Ireland: A Counter Proposal (London 1886)
  • The Inhabitants of Tower Hamlet (School Board Division), their Condition and Occupations, JRSS: l (1887)
  • The Condition and Occupations of the People of East London and Hackney 1887, JRSS: li (1888)
  • Life and Labour of the People, 2 vols (London 1889)(Title of Vol.2 is Labour and Life of the People)
  • Life and Labour of the People, 2 vols (London, 1889-93, 2nd edn)
  • Enumeration and Classification of Paupers, and State Pensions for the Aged, JRSS: liv (1891)
  • Pauperism: A Picture. The Endowment of Old Age: An Argument (London 1892)
  • Presidential Address: Life and Labour of the People in London: First Results of an Inquiry based on the 1891 Census, JRSS: lvi (1893)
  • Life and Labour of the People in London, 10 vols (London 1892-97)
  • Statistics of Pauperism in Old Age, JRSS: lvii (1894)
  • The Aged Poor in England and Wales: Condition (London 1894)
  • Old Age Pensions and the Aged Poor: A Proposal (London 1899)
  • Improved Means of Locomotion as a First Step Towards the Cure of the Housing Difficulties of London (London 1901)
  • Life and Labour of the People in London, 17 vols (London 1902-03)
  • Fiscal Reform, National Review: xliii (1904)
  • Fiscal Policy and British Shipping from the Free Trade Point of View (London 1909)
  • Poor Law Reform (London 1910)
  • Reform of the Poor Law by the Adaptation of the Existing Poor Law Areas, and their Administration (London 1910)
  • Comments on Proposals for Reform of the Poor Laws (London 1911)
  • Industrial Unrest and Trade Union Policy (London 1913)
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